未成年の犯罪が起こると・・。 | ある植物学者の視点。

未成年の犯罪が起こると・・。

昨日、家庭介護に関連して高齢者(祖父母)との同居が子供の躾に良い効果をもたらすとの私見を書きました。特に、介護を必要とする場合には自分もいずれは同様の介護を親にしなければならないということ、そして自らもそうであるということを学ぶことになります。親の苦労を見ることでなるべく負担、心配をかけないようにと考えて行動できるようになると思います。思春期などには反発もあると思いますが、実際、そんなことをkゐ属して行うような余裕はありませんから非行にいたる率も低いでしょう。

さて、今日の表題ですが、どうも納得がいかないのです。何故、未成年の犯罪が起こるとマスコミを中心に学校、教師の指導責任を問うのでしょう。そもそも、学校というのは社会に出るための知識や教養を身につけるところです。他人を傷つけないなどの倫理観、人格というものは家庭で身に付けるべきで、親が責任を持ってその教育を行い、その上で学校という集団生活の場に送り出されるべきものです。もちろん、学校などの場において過度のいじめがあった場合、これに注視する管理義務はあるのでしょうが、暴力行為は加害者(未成年の場合はその保護者も)の責任であり、学校や教師を責めるのは筋違いもいいところです。あげく、加害者の親までも学校・教師の責任を堂々と(モザイクかかってますけど)カメラの前で問う昨今、いったいなんなんでしょう?

コメンテーターの方など、一般人である加害者の親の責任を問う発言は抗議や反発を恐れてやりにくいので、公人である学校・教師を攻撃対象にしているのではないでしょうか。公人というのは強い立場に捕らえられがちですから、いわゆる判官びいきの一種なのかもしれません。加害者が処罰されない、批判されないというのは同様の犯罪を助長しますし、なにより被害者は救われません。