大学における再教育プログラム | ある植物学者の視点。

大学における再教育プログラム

今日、いろいろなサイトのニュースで大学生の日本語語学能力が留学生よりも劣っているという恐るべき結果が掲載されていました。一因として、テレビやラジオで乱れた日本語が使用されているせいだ、と指摘する声もありますが、本当にそうでしょうか?
これまでにも多くの留学生と接してきましたが、確かに彼らの多くは母国で日本語の学習をしっかり行ったそうですが、日本に来てからテレビ、ラジオから学び、会話を不自由なく出来るようになった人が非常に多いです。ですから、今回の結果は日常の習慣でなく、基礎的な知識が欠落していることに起因していると考えます。

実は、5年ほど前から一部の大学では新入生を対象に高校で行う授業の再講習を行っています。最近では、理系を中心に国立大学法人でも実施されています。目的ははっきりしていて、3年次もしくは4年次に自らの研究室に配属された場合、研究に支障が出るためです。これは、本人が研究を出来る水準に達していない為に戦力外であるというだけでなく、研究活動というのはある程度のグループで行う(同じ機械を順番に使ったり、薬品を共用したりします。)ために研究室全体(その他の人)の研究にも支障が出るためです。法人化に伴い、多くの大学で教授を始めとする教官に任期制が導入され、研究実績の評価を厳しく受けることになったのも一つの要因ではあるのですが。

多くの大学では、1,2年次に一般教養科目や専門分野の概論についての講義を受け、専門学習をするための素地を築きます。これらはもちろん、高校レベルの学習を理解していることを大前提として行われます。はたして、我々が目標としている水準まで学習して卒業していく学生はこれから減っていくのでしょうか。

これらの出来事は学歴社会からくる受験競争が問題視され、ゆとり教育を行った弊害だといわれています。みんな弊害、といいますが私にはゆとり教育で得られた良い効果など見つけることは出来ません。害だけであると考えています。
現在、ITビジネスなどを行い、独創性ある仕事を成功させているのはみんな、受験競争の時代の方々です。受験競争が個性を失わせる、といった過去の指摘が誤りであったことを裏付けている良い証拠ではないでしょうか。