2005-01-29 | ある植物学者の視点。

2005-01-29

本日の新聞で、本年度国公立大学の入試出願者数が発表されていました。少子化の影響もあるのでしょう、多くの大学・学科で倍率が1倍を切るという事態が発生しています。また、1倍を超えていてもほとんどの場合、例年よりもかなり低い倍率となっています。これにより、もちろん受験者およびその保護者の方は安心したり喜んだりしていることでしょう。


大学経営の観点から言えば、入学定員を満たすことは授業料による収入確保だけでなく、補助金交付額にも影響しますので重要視されます。ですが、学力低下が叫ばれる今、定員を満たすために合格させた者が本来その大学に入学するに足る学力を持っているかといえば、おそらくは不足しているでしょう。


本来その大学で行われる教育を受けるに足る基礎学力を持たないものを入学させるというのは短期的に見れば経済的に大学を生き残らせることはできますが、大きな誤りであると思います。なぜなら、将来的に見ればこれまでと同水準の卒業生を輩出することはできないので、大学がけれまでの卒業生の社会での活躍などによって積み上げてきた信用は崩れていきます。


こういうことを書くと、大学は教育機関なのだから入学者の学力が低下すればそれを補い、過去の卒業生と同じレベルまで高めるべきだと言われますが、そういう意見はそもそもは専門教育を受けるに足るかどうかを見極めるために入試という制度があるのでナンセンスな意見であると考えます。


現実問題として、(過去の記事で書きましたが)高校での教育内容について再教育をするということが行われています。これは、学生が高卒に準ずる学力をもっていないことに起因しています。一般教育(専門分野以外の心理学や社会学などを幅広く学習する)の期間をこれに費やしているのも大きな問題です。専門科目が出来ればいい、と考える人も多くいるようですが、広い知識や思考法が身についていなければ、新しいことを考え、生み出していくことはできません。また、日本の大学は入ってしまえば出れますし、任意で行われる再教育を真面目にやる学生なんているのでしょうか??


学歴社会の善悪はともかく、現状が続けばそれは崩壊していくでしょう。ただし、全体のレベルを下げるという最悪の形で。企業の採用基準も、出身大学で審査するのを止めつつありますが、これは有名大学出身であっても、高校教育すら満足に出来ていない学生がいるという現状によるのです。学歴がなくても優秀な人を求めてる、ってのは建前ですよ。有名大学ならある程度のレベルにある、という前提が崩れただけです。つまり、採用試験で審査する科目が増えたということ。大学の4年間をどう過ごしたか、いかに自主的に学習、研究を行い知識を得たかということに尽きるでしょう。


本来の基準を良く考え、定員を割っても(合格者なしであっても)大学教育を受けるに足る学力を持ったものだけを合格とするよう、入試関係者には切に要望します。