ある植物学者の視点。 -3ページ目

学力は遺伝するのか?

科学的な根拠のないことを書くのはあまり好きではないのですが、私は学力も遺伝的影響を受けると考えています。誰でも経験があることだと思いますが、小学校のかけっこで足が速い子は生まれつき速いし、遅い子がどうがんばっても敵いっこありません。(ちなみに、私は後者でした。)同様に、物覚えがいい(暗記能力が高い)子もいれば、逆の子も生まれつき存在しています。この点だけでいえば、先天的な学力にははっきりと差があると言えます。

しかしながら、スポーツで様々な技術を磨かなければならないのと同様に勉強の場合にも論理的な考え方を身につけたり、基礎から順を追って覚えていくという長い時間をかけた修行が必要です。これは、遺伝とは全く関係がないものです。もちろん、野球が上手な子が野球の練習を一生懸命やるのと同じく、勉強が得意な子は勉強を一生懸命やるわけですから、そこで差が広がるわけです。つまり、自分が人より優れている部分を伸ばそうと努力する、努力しないと他人に抜かれてしまう(=長所を失ってしまう)と感じるわけですね。では、努力を続けられる環境とはどんなものでしょうか。

実は、この環境が親の学力(子供時代からの努力)に依存します。単純に、高学歴・高収入の親の家庭であれば、学級崩壊の生じた公立学校ではなく進学に特化した私立学校に通わせられますから、12年間でつく差は限りないものでしょう。ですが、これよりも大事なのは何時、どのような努力をすべきか、親が経験から得たものを伝えられること、そして継続した努力を見せることだと思います。自分の経験があれば、それなりのノウハウを持って教育を行うことが可能です。

何事にも、努力するには目標が必要です。子供にとって親は最も身近な目標ですから、これを念頭に置くべきで、単純にお金かければ良いわけではありません。

大学における再教育プログラム

今日、いろいろなサイトのニュースで大学生の日本語語学能力が留学生よりも劣っているという恐るべき結果が掲載されていました。一因として、テレビやラジオで乱れた日本語が使用されているせいだ、と指摘する声もありますが、本当にそうでしょうか?
これまでにも多くの留学生と接してきましたが、確かに彼らの多くは母国で日本語の学習をしっかり行ったそうですが、日本に来てからテレビ、ラジオから学び、会話を不自由なく出来るようになった人が非常に多いです。ですから、今回の結果は日常の習慣でなく、基礎的な知識が欠落していることに起因していると考えます。

実は、5年ほど前から一部の大学では新入生を対象に高校で行う授業の再講習を行っています。最近では、理系を中心に国立大学法人でも実施されています。目的ははっきりしていて、3年次もしくは4年次に自らの研究室に配属された場合、研究に支障が出るためです。これは、本人が研究を出来る水準に達していない為に戦力外であるというだけでなく、研究活動というのはある程度のグループで行う(同じ機械を順番に使ったり、薬品を共用したりします。)ために研究室全体(その他の人)の研究にも支障が出るためです。法人化に伴い、多くの大学で教授を始めとする教官に任期制が導入され、研究実績の評価を厳しく受けることになったのも一つの要因ではあるのですが。

多くの大学では、1,2年次に一般教養科目や専門分野の概論についての講義を受け、専門学習をするための素地を築きます。これらはもちろん、高校レベルの学習を理解していることを大前提として行われます。はたして、我々が目標としている水準まで学習して卒業していく学生はこれから減っていくのでしょうか。

これらの出来事は学歴社会からくる受験競争が問題視され、ゆとり教育を行った弊害だといわれています。みんな弊害、といいますが私にはゆとり教育で得られた良い効果など見つけることは出来ません。害だけであると考えています。
現在、ITビジネスなどを行い、独創性ある仕事を成功させているのはみんな、受験競争の時代の方々です。受験競争が個性を失わせる、といった過去の指摘が誤りであったことを裏付けている良い証拠ではないでしょうか。

未成年の犯罪が起こると・・。

昨日、家庭介護に関連して高齢者(祖父母)との同居が子供の躾に良い効果をもたらすとの私見を書きました。特に、介護を必要とする場合には自分もいずれは同様の介護を親にしなければならないということ、そして自らもそうであるということを学ぶことになります。親の苦労を見ることでなるべく負担、心配をかけないようにと考えて行動できるようになると思います。思春期などには反発もあると思いますが、実際、そんなことをkゐ属して行うような余裕はありませんから非行にいたる率も低いでしょう。

さて、今日の表題ですが、どうも納得がいかないのです。何故、未成年の犯罪が起こるとマスコミを中心に学校、教師の指導責任を問うのでしょう。そもそも、学校というのは社会に出るための知識や教養を身につけるところです。他人を傷つけないなどの倫理観、人格というものは家庭で身に付けるべきで、親が責任を持ってその教育を行い、その上で学校という集団生活の場に送り出されるべきものです。もちろん、学校などの場において過度のいじめがあった場合、これに注視する管理義務はあるのでしょうが、暴力行為は加害者(未成年の場合はその保護者も)の責任であり、学校や教師を責めるのは筋違いもいいところです。あげく、加害者の親までも学校・教師の責任を堂々と(モザイクかかってますけど)カメラの前で問う昨今、いったいなんなんでしょう?

コメンテーターの方など、一般人である加害者の親の責任を問う発言は抗議や反発を恐れてやりにくいので、公人である学校・教師を攻撃対象にしているのではないでしょうか。公人というのは強い立場に捕らえられがちですから、いわゆる判官びいきの一種なのかもしれません。加害者が処罰されない、批判されないというのは同様の犯罪を助長しますし、なにより被害者は救われません。

家庭介護の現実。

いまや日本の平均寿命は80歳を超えており、元気に海外旅行などをされる方も増えていますが、その一方で介護を受けなければ生きていくことの出来ない方も確実に増えています。このことに対応するために施行された介護保険、40歳以上の加入が義務付けられ、民間業者による介護サービスを受けられるというものですが、早くも財政難だそうで、加入年齢を20歳以上に引き下げようという議論がなされています。でも、この制度って本当に必要なのでしょうか?

この制度、様々なサービスを受けられるかのように見えますが、民間業者による介護サービスしか受けられない、すなわち、家族が介護する場合には何のサポート(助成金など)も支払われません。しかし、加入義務とはすなわち税金みたいなものですから、毎月しっかり出費しなければなりません。

病気、老衰さまざまな事由から介護を必要とする身になってしまった大切な家族の介護を自分の手で行いたい、という方は数多いと思います。程度もによりますが、介護は24時間休みがありません。つまり、生活のために働くことも出来ないわけです。家族こそ、心の通った介護の出来る唯一の存在だと思います。本来、国が介護保険という位置付けで行うべきは、介護のために働けない家族への金銭的支援、心のケアをすべきだと私は思います。今はなかなか家を建てることも難しいですから、2世帯住宅などで両親と同居するケースもかなり多く、核家族の解消が出来る環境に移りつつあります。介護を実際に行うのは大変ですから、選択の余地があるのは良いことだと思いますが、家庭介護への援助を行うことは家庭環境の改善にもつながりますし、子供にとってもかけがえない教育になるでしょう。

躾ができる高齢者と共に生活する、育つことで学ぶことはかけがえのないことです。犯罪発生率も減るでしょうし、学級崩壊なども改善されるのではないでしょうか。物事の善悪をきちんと教えてもらえるはずです。

生活保護費削減からくる諸問題と利点。

現在、国会にて三位一体改革の一部として、生活保護費の国庫負担率を現行の75%から引き下げることが議論されています。主張としては、地方負担率引き上げとなるわけですが、実際には地方自治体は多くが赤字ですし、赤字の厳しい自治体ほど景気も悪いのですから、支給額の切り下げが行われることになります。ここで、どのようなことが起こるのでしょうか。
<問題点>
当然、毎月の生活費が減るわけですから生活が圧迫されます。家賃・公共料金などの支払いが困難となり、ホームレス化する方が出ることも示唆されています。また、仮に自治体間で支給額に格差が生じた場合には豊かな大都市へ集中移住が起こるかも知れません。
<利点>
これは直接ではなく、議論することに意義があります。
実は、生活保護費切り下げは年金問題と密接に関係します。現在、年金未加入・未払者人口が急増して社会問題化しています。年金を受け取ることの出来ない彼らは、将来的に生活保護対象者になるといわれています。マスコミ報道では年金崩壊の危機を叫んでいますが、もらえないなら払わない、と考えるのははっきりいって当然ですし、生活保護の存在を知っていればあてにする者もいるでしょう。しかし、実際に生活保護を受けるには財産審査がありますし、理由なく車の所持・利用は出来ないなど、生活も厳しく制限されます。ここで、生活保護を受けている方の生活実態と将来的な年金生活者、生活保護者の生活試算などを大きく取り上げることは、年金危機解決の糸口になるかも知れません。

払わなくても何とかなる、っていう考えは将来の苦しみになるでしょう。平均寿命を考えると、年金生活は20年以上あります。あなたは20年間、役所の管理化で旅行にも行けない生活を望みますか?

環境への影響は?<遺伝子組換え植物・連載第5回>

一日間があいてしまいましたが、今日は遺伝子組換え植物の環境リスクについてです。現在普及している遺伝子組換え体は、前回も述べたように除草剤耐性、害虫防除能(殺虫、忌避)を付与されたものです。我々が食糧としている植物(作物)が生まれてきた要因でもある自然交配によってこれらの遺伝子が雑草に伝播することにより、この形質を持った雑草が無作為に生まれてしまうことで、除草剤による雑草除去(=作業軽減)が出来なくなってしまうかもしれません。また、害虫忌避の蛋白質が広まっていくとその種類の虫が激減、または滅亡して生態系を狂わせるかもしれません。もっと恐ろしいのは、遺伝子導入の際に組替え体を選抜するために目的遺伝子と同時に導入される抗生物質耐性遺伝子が広まっていった場合です。植物に広まっていくことにはそれほど大きな脅威とはなりえませんが、これが仮に病原微生物に伝播した場合にはその抗生物質が効かないために従来の知見に基づいた処方では根治できず、治療の遅れ、症状の悪化を引き起こす可能性があります。無論、これまでに述べたように異種生物間での遺伝子伝播は確率的に非常に難しいのですが、全く起こらないとは言い切れません。事実、植物への遺伝子導入はアグロバクテリウムという微生物を感染させることで行いますから。

野菜の値段。ー地域格差?ー

前に野菜価格の高騰を記事にした際、筆者がドライブ中に立ち寄った野菜直売所では平常の値段で売られていた、ということをお知らせしました。最近はスーパーでの値段も落ち着いてましたが、これは下記のメカニズムによるそうです。(レタスを例に挙げて模式化しています。)

(1)平常時 200円
(2)災害による価格高騰 1000円
   *このとき、卸売市場価格800円
(3)消費者買わない。一部商店で原価割れ、500円でも売れない。
(4)市場価格値下げ(200円程度?)。400円

ここで注目すべきは(3)のステップです。物価というのは需要・供給のバランスで決まりますから価格高騰で需要が下がれば価格も下がるわけです。
・・・・・つまり、ホントの原価は幾らだったのか想像がつくと思います。直売所の値段設定を考えると農家が値上げしたわけではなさそうですので、卸売市場への持ち込みまたは卸売段階で価格が高騰したことになります。(さて、儲けたのは誰?)
本題ですが、まだ価格高騰を維持している地域があります。色々と聞いてみたところ、かなり格差があります。価格高騰を維持している地域、ある共通点があります。それは、畑が少なく直売所のない地域。上記(3)のステップで、販売者ではなく消費者が折れてしまった場合です。スーパーで売っている野菜は、同じ地域であればほぼ同じ生産地から来ています。同じものが異なる値段で売られている現実、考えてみなければなりません。

高齢者の暮らしやすさ-本当に若者だけが悪いのか-

昨今の高齢化社会において、年金制度改革、介護保険の導入・改革などが進められていますが、本当に高齢者、障害者などの方が暮らしやすい世の中になっているのでしょうか。普通に電車に乗っていても、高齢者に席を譲らない若者も多くいます。このことはよくテレビなんかでも言われていますが、実は逆の問題もあります。
皆さんも経験があるかもしれませんが、席を譲ろうとしたら逆に「年寄り扱いするな!」と怒られたり・・(苦笑)。また、大きな声でお礼を言われて注目を集めてしまうのもなかなか苦しいものです。

この点について、筆者がしばらく暮らしていたドイツと比較してみましょう。まず、ドイツでお年寄りに席を譲らないほとんど若者を見たことがありません。子供がどかない場合、親もしくは居合わせた他人(!)が注意して立たせていました。これは幾分、宗教教育(ドイツはカトリック信者が多く、祝日も統一記念日以外はキリスト教関連です。)の影響が強いのですが、道徳観念がしっかりしていて良いと思います。
女性やお年寄りが重い荷物を持っている場合にも手伝うことはもちろんですが、ドイツの電車、駅でなによりびっくりしたのは彼らのほうから手伝いを気軽に求めてくることです。荷物を運び終わった際、席を譲った際にもそうなのですが、軽く「Danke!」、「Bitte!」と挨拶を交わす程度で大げさなお礼は言いません。
こういったフランクなやり取りができると、こちらとしてもお手伝いしたり、席を譲ったりが気楽にできるものです。(筆者は最初の頃、手伝うのが当然!という態度に見えて少し不愉快だったりしましたが・・・。)

ちなみにドイツの電車、ほとんど定刻で走ってるのを見たことがないです。一時間に一本とかなので遅れそうな乗客を待つのは理解できます。が、ローカル線で車掌さんがタバコ吸い終わるのを待ってて発車時間過ぎるっていうのはどうなんでしょうねえ・・・。

何故食べたくないか。<遺伝子組換え植物・連載第4回>

現在普及している遺伝子組換え作物は、主に農業の効率化(手間の削減)を目的としたものです。実際にこれらを栽培するのは農家ですから、作業効率を上げると収入の安定(念ごとの変動を減らす)という点で非常に受け入れやすいものです。アメリカではビジネスとして成功していますし、発展途上国では食糧生産の増強に期待が高まり一部の国では栽培および開発が進んでいます。
でも、我々日本人やヨーロッパ人はこれらを口にしようとしませんし、大学における研究での栽培すら自治体レベルで禁止されようとしています。(北海道では知事提言としてすでにパブリックになっております。)でも、皆さんは遺伝子組換え作物の何が嫌なのですか?これまでの記事で説明したように、普通に食べている野菜だって遺伝子組換えをうけているのですよ?
皆さんが不安に思うのは、除草剤耐性や害虫防除能といったいままでの植物にはない形質を人工的に入れていることだと思います。そして、これら蛋白質の体への影響。科学的には、これらの蛋白質(酵素)が人体に無毒であることは証明されています。また、これらの遺伝子が人体に吸収されて染色体に組み込まれる、ということもありません。(そんなことがあったら、地球には緑色で光合成できるナメック星人がいっぱい。)
今年のような異常気象が続けば、今後我々に選択の余地はなく遺伝子組換え野菜、加工品が市場にあふれることでしょう。そのときまでに消費者それぞれが予備知識を身に付けなければならないのは当然ですが、販売側も現在のような「GM」ひとくくりではなく、どんな遺伝子がどのような形で導入されているのか、個々の安心評価のために開示するべきだと思います。
少し、長く複雑になりました。質問等あればお気軽に書き込んでください。
明日は、環境への影響について。

GM作物とは?<遺伝子組換え植物・連載第3回>

今日はいよいよ遺伝子組換え作物について述べていきます。最近は一般誌でもGM作物、GMOという言葉が見られるようになりましたし、スーパーで売ってる豆腐やスナック菓子にもこのような表示が見られます。GMとはgene manipulated(遺伝子操作した)の略であり、GMOはgene manipulated organism(遺伝子組換え生物)の略称です。こういった表示は事務上都合がよいのですが、意味がわからないと非常に不安を覚えるものです。医者から言われた病名や、処方された薬が難解であるのと同じですね。

実際に現在普及しつつある遺伝子組換え作物は、除草剤耐性や害虫防除能力を遺伝子工学的に付与されたダイズ、トウモロコシ、トマトなどです。トマトでは、日持ちするものなども作られていますね。これらはそれぞれ、ある種のタンパク質を発現させることによりその能力を付与しています。実用面で栽培時の作業負担軽減、輸送時の劣化など様々な利点のあるものがまず作られ、普及していますが今後、よりおいしい野菜、機能性食品に相当する野菜を作るために遺伝子操作が使われる可能性も高いです。

今日は遺伝子組換え植物の利点を述べました。では、何故これほどまでに我々は拒絶するのでしょう?